茨城県弁護士会所属
私は,長年にわたり,主に交通事故に関する紛争と刑事弁護活動を取り扱ってきました。
交通事故は,一瞬の出来事でありながら,尊い命を奪われたり,重い後遺障害を負わされる取り返しのつかないものです。たしかに,奪われた命や健康な元の身体を取り返すことはできず,金銭により賠償を受けることしかできないとも言えます。そして,ほとんどの方が初めての経験であるため,保険会社の提示する賠償額が一般的に妥当な金額であると考えて安易な示談をしてしまうのが現状です。
しかし,実は,その示談が被害者に新たな被害を与えている場合があるのです。例えば,ある依頼人は家族の重度後遺障害に対する賠償として保険会社から約6000万円の提示を受けました。日々,介護に疲れて将来に対する不安から弁護士による対応を希望され,当事務所に事件の処理を依頼されました。私は損害賠償請求訴訟を提起しましたが,早期解決に向けて最終的には話し合いによりその訴訟は終了しました。それでは,訴訟を提起したことは無駄だったのでしょうか。実は,話し合いによる解決のために保険会社が提示した賠償額は1億8000万円でした。保険会社は,専門的知識が乏しい依頼人に対し,将来の介護料をまったく認めず,慰謝料なども一般的な金額よりも極めて低額の賠償額を提示していたのです。このような不当な結論を招かないよう,当事務所は,法理論の研究と最新の裁判例の検討はいうまでもなく,医学的知識についても学び,時には保険会社側の戦略を知るために保険会社の関連団体が主催する勉強会にまで参加して,高度な知識の取得に努めています。
また,私は刑事弁護活動にも力を入れています。刑事弁護活動は,一言で言えば悪い人間を助けるということです。しかし,なぜ,そのような活動に力を入れているのか少しばかり耳を傾けて下さい。
結局,私は人の助けとなりたいのだと思います。そして,すべての犯罪者が刑務所に行く必要まではないと考えているのです。
例えば,かって,家族3人を無残に殺して死刑求刑を受けた人の裁判で無罪判決を得ました。もちろん,私に対する社会的非難もありました。ただ,私は,彼が行くべきところは刑務所ではなく病院であるべきだと考えたのです。
また,家族を殺して殺人罪で裁かれた方について執行猶予がついた判決を得たことがあります。依頼人は,日々,兄である被害者からの暴力・暴言に耐えていました。しかし,ある日,依頼人の家族が被害者の暴力に耐えかねてケンカとなり被害者が亡くなってしまいました。依頼人は被害者を押さえつけていたとして,殺人の共犯者として裁かれました。もちろん,被害者の死の結果は取り返しのつかないものですが,私は,兄弟でもある被害者を自らの手で殺した依頼人のつらさ・苦しみを知り,刑務所に入る必要まではないと考えたのです。
もちろん,刑事弁護はこのようなケースだけではありません,そもそも,警察や検察庁の考えている犯罪と事実とが違っている場合があります。例えば,ある依頼人は男女間の争いから刃物で女性をけがさせてしまい殺人未遂容疑で逮捕されました。依頼人は当然交際相手を殺すつもりなどなく,また,弁護士を通じて被害者に誠意をもって謝罪することにより犯行を許してもらい,結局は殺人未遂ではなく傷害罪として執行猶予付の判決を得ました。
ほかにも,たまたま一緒にいた友人が犯罪を犯したため,重大な犯罪の共犯として逮捕されてしまった依頼人もいます。しかし,私が,依頼人が犯罪に関与していないという事情と法的な意見を警察・検察庁に述べたことにより,依頼人はなんの処分もされずに釈放されました。
さらに,そもそも本当は事件すらなかったのに,うわさ話を信じた警察が依頼人を強硬に取り調べて自白を得ようとした事件もあります。この事件では,警察の捜査方針や取り調べの方法に抗議をすることで捜査それ自体を中止させました。
もちろん,刑事事件では依頼人に非があるケースが大部分です。このような場合には,依頼人に対して被害者に謝罪して被害弁償をするように促し,あるいはその他の方法で誠意を示すことにより被害者の許しを得て裁判で執行猶予付判決を得ることもあります。
これに対して,罪の大きさなどから依頼人が刑務所に入ることが避けられないケースもあります。このようなケースでは,依頼人に罪は罪としてきちんと反省してもらい,刑務所に入って社会的な責任などを果たした後に社会復帰するようにさとす場合もあります。例えば,家族の生活費を得るために犯罪に手を染めた若い依頼人が刑務所から帰ってきて社会内でまじめに働いている姿を見ることがあります。このようなとき,弁護活動を通じて,依頼人が将来に絶望し自暴自棄になりさらに悪い道に進むことを防ぐ手助けができたのではないかと思うのです。